4月、新しいスタート。出会いと別れの季節です。 テレビ、ラジオの世界も出会いと別れの季節。 世間的には「笑っていいとも」の終了が話題になってましたが、 私はテレビ=ニュースの人ですしね。 この前はWBSで小谷さんの涙の卒業を取り上げました。 ラジオで言えば、特にAMラジオというのは特殊で、4月からの半年間、 18時から22時というテレビで言うところのゴールデンタイムが全部 プロ野球中継になりますからオフシーズン、夜長を楽しませてくれた 番組が続々終了。10月に新番組がスタートする時点で、半年の命を 覚悟してスタートしないといけない悲しい運命がAMラジオなのです。 そしてリスナーは、お気に入りの番組が半年後に復活してくれる事を 切に祈るわけです。 さて、私がここで取り上げるのは、 テレビ朝日の「ワイド!スクランブル」です。 基本、私はワイドショーというのは好きではなく、もっというと芸能情報 の類が好きではありません。マイノリティなので熱愛とかその手の報道が 苦手というのもありますが。 二人きりで食事に行ったということはそういう関係ですねみたいなことに 嫌らしさを感じると言うか、私がそう言う意味での性別意識のない人なので、 男性として生きてた昔に、そう言う目を向けられて物凄く人間不信になった 経験もあるので、男女の間には常に性的なものが存在する的な考え方が 本当に嫌いでした。それが余計に男性嫌悪に拍車をかけたのかも しれませんが。 ま、それよりなにより、私はニュースが好きなのです。 お昼のワイドショーの概念を覆したのが、テレ朝のお昼に蟹瀬誠一さんを 据え始まった「ザ!ニュースキャスター」。好きでした。 その後に始まったのがこのワイド!スクランブル。 はじめは水前寺清子さんがMCで、ワイドショー色が強かったですが、 局アナにチェンジしてからは報道色も出てきました。 そしてこの4月。キャスターから高知県知事を経験された橋本大二郎さんが 登板。スタートも10時半から。福岡KBCは11時半、いわゆる、飛び乗りです。 見てみましたが、これが、政治家経験も生かして鋭くニュースに切り込みつつも、 全体的にまったりとしたやさしい雰囲気でよかったです。 そして、テーマ曲に起用された、矢野顕子さんの「ごはんとおかず」。 矢野顕子さんの歌声も相まって、ますます、まったりとした感じに。 さっそく楽曲購入。 いまのところ、今年の個人的レコード大賞です。 このままいけば、私的に、今年最大のヒットです。 もちろん、リコーダーのレパートリーに入れました。271曲目。 お披露目してみましたが、その後、さらに正確に音を取り、手直しをして、 パワーアップいたしましたよ。 「ごはんとおかず」という名前もまたいいですね。 ******************************* さて、相変わらず、着地点を探す日々が続いていますが、意外と、 見えない障害の方が付き合いやすかったりなんかして、性別の方は、 掘っても掘ってもいくらでも出てくる、底なし状態です。 これはやはり、「当たり前の壁」があるからじゃないかと思ったりするわけです。 極端な話、たとえば、人間は呼吸しないと生きていませんが、 忙しい毎日の中で、「自分が息をしているんだろう」なんて頭を抱えて 考え込むことはないわけで、ましてや一日何回呼吸したかなんて数えてたら 仕事にも支障が出るわけで、それだけ無意識のうちに人は呼吸してる訳です。 当たり前とされることは無意識のうちに、につながる。 だから一番分かりやすい例が、トイレです。 男子トイレと女子トイレの間に立ち、自分はどっちに行けばいいんだろう?と 頭抱えて考え込んでいる人を街中で見かけることは全くと言っていいほど ありません。 特に迷うこともなく男子トイレ、女子トイレ、男湯、女湯を選択しているでしょう。 結婚式場の広告に、新郎新婦の姿がうつってることに違和感を覚えたり、 婚姻届に、夫になる人、妻になる人と書かれていることに疑問を持つことも ないかもしれません。 トイレに行きたい人が、どっちのトイレに行っていいかわからず、 「すみません、私の性別ってどっちだと思いますか?」なんて聞いてる人も 私の知る限りではみたことありません。 これらすべてにひっかかるのが私なのです。 ですから、ばかじゃないの?というようなことは散々言われてきました。 性別に関することに触れずに生きると言うことがいかに難しいかです。 一歩外に出れば男子トイレ、女子トイレ、メンズファッション、レディスファッション、 男性お断り、女子会、最近はそれに対抗してか男子会、レディスデー、 レディスセット、彼氏、彼女、街コン、婚活、妊活、花嫁、花婿… 挙げればきりがありません。 そのすべてにことごとく引っかかるのです。 皆が当たり前に無意識に受け止めてることがまるで雲の上の人のような、 いちゃついてるカップルすら雲の上の人みたいに感じて、 眩しすぎて落ち込むのです。 みんな普通に男性、女性というのを受け入れて生きてて、普通に 男性は女性に、女性は男性を好きになるのか、そして結婚し、 性というものをきちんと受け入れてる。 決して変な意味ではなく、保健体育で習った性教育を素直に受け入れて、 生殖をし、子供をもうけている。夫婦の間に子どもが存在すると言うことは、 ちゃんと性というのを受け入れて、男性、女性それぞれの性の役割を きちんと果たしてる。法的にも婚姻関係が成立してる。 わたしのなかでは偉業でしかないわけです。 生を受けた時は男性だった。 だけど、ほぼ脳死のような発作の末、成長の遅れ、 ホルモンバランスの崩れから、 男性にもなりきれない、女性にもなりきれない、 この宙ぶらりんな状態が一番つらいんです。 男性として生きようと努力してみた。 子育てしてない人間に子育てがわかるか!と言われ、 わたしもいつかパパになれるかな思ってた。 でも、だめだった。 とってつけた張りぼての身体でもいっちょ前にパーツ的には男性。 でもそれ以上に身体が女性としてのサインを送る。 ちょっとした、両性具有。 子供たちと接してても、いつしかママ目線でしか見られなくなった。 「くん」で呼ばれるたびに、死にたくなくるくらい苦しくなった。 ズボンをはけなくなり、男子トイレに入ろうとすると過呼吸を起こし、 ついには、男性用の肌着売り場に行こうとして過呼吸、そして、 バスで男性が隣に座るだけで過呼吸を起こすようになった。 好きになるのは女性と言っただけで、性欲がある健全な男性だと 言われ、そのときは本当に死ぬことが頭をよぎった。 女性が楽だなんて思うなと言われたけどそれは違う。 楽な面だけ見るんだったら、こんなに性別のことで 死にたくなったりなんかしない。 女装趣味だとか、女子トイレに行きたいとか言うと覗きみたいに 言われることがあるけど、そんなことで死にたくなるほど自分を 追い詰めたりしない。そんな犯罪者と一緒にしないでほしい。 女性として生きると宣言するのと反比例するようにめっきり学校から 声がかからなくなった。教育によくないので子供達にはその手の話は しないようにとまで言われた。せっかく「自分らしさ」を考える機会なのに。 まるでわたしが毒物か何かのようで悲しかった。 わたしだって一人間。 一人では生きていけない、持ちつ持たれつの人間。 家族に支えられてきたからこそ、家族の存在に憧れる。 だけど、私は結婚もできなければ、子供を持つこともできない。 これまで書いてきたように、男性としての機能があるなら、わが子を 持てるじゃないかと言われたことがじわじわと私の首を締め付ける。 わたしが男性の身体というのさえ受け入れれば普通に結婚もでき、 子供ももうける事が出来るかもしれない。不妊に悩んでいる方に対して わたしは申し訳ない、自分を責めて、責めて、責めた。 でも、無理だった。 どんなに人が馬鹿じゃないのと言おうと、 わたしは女性として生きたい、産めるものなら子供を産みたい。 出産予定の友人のお腹を触らせてもらった時、まるで自分のお腹に 子供がいるように感じた。 友人には「一緒に私も産むからね」と伝えた。 馬鹿げてると思うかもしれません。 でも、たとえが全く違いますが、わたしの感情移入は激しくて、 テレビの時代劇ですら、自分が斬られてるみたいに痛い、痛いとなって、 みる事ができなかったりする。原爆ドームをまともに見る事が出来ないのも、 清らかな川なのにまるで当時の人々の叫び声まで聞こえてきたり… 正直、悪いなあと思いながら、赤ちゃん連れや妊婦さんとすれ違うのが 苦しい時がある。こっちまで幸せな気持ちになるのに、胸が苦しくなる、 仕方ないことなのに、「お母さんになれなくてごめんね」と泣けてしまうことも ある。だけど、友人のお腹に触れた時、まるで自分のお腹が動いたような、 そこまで感じるとは自分でも驚きだった。 子育てしてないからもちろん具体的に授乳どうするとか、いろんなことは 分からないから、だから、子育てしてない人は引っ込んでなさいと言うこと なのかもしれないけど、わたしは未来永劫子供を持つことも、結婚も できないのです。子育て経験のないあなたが…というのは私にとっては けっこう死の宣告に近いものがあります。そうなれば、広い意味での お母さんになるしか私にはないのです。 出会いがないと嘆く友人には、私なんかよりよっぽど出会いがあるよと 言ってる(苦笑) たいていは男性は女性を、女性は男性を求めるのだから、あとはタイミング。 わたしの場合は、女性を好きになるけど、女性には私を女性として見てほしい、 だけど女性が求めるのは100%と言っていいくらい男性。 こんな私に出会いがあるのなんて天文学的確率でしょう。この絶望感たるや。 人間もなんだかんだ言いながら動物なので、子孫を残そうとする。 子孫を残せない、もっと言えば、性別すら分からなくなってる私は、 やはり生物として欠陥なのでしょう。 子供を産めない、作れない以前に、どっちの性別にもなれないと言う根っこ。 欠陥の中の欠陥かもしれない。生きる価値なんてあるのだろうか。 と、死神が忍び寄ってくるので要注意です。 もう感覚もおかしくなっていて、ドラッグストアで女性用品が置いてあるのを 目にしたり、女性用品のCMを目にするだけで、 「女性と言いながら女性ならあるべきもの、あるはずの痛みがなくて、 世の女性の皆さん本当にごめんなさい」と懺悔して回りたいくらい胸が苦しく なって、これまた自分を責める。 女性が楽とでも思ってるの?などと言われるけど、これが私の現実です。 掘っても掘ってもきりがないこのマイノリティの苦しさ、誤解、偏見を 取り除きたい、理解してなんて言いません、少しでも知ってほしい、 その一心で私はさらけ出しています。本当にごめんなさい。 また思いついたらつらつらと書いてみたいと思います。